【私立小学校】 息子の小学校のお友達と教育方針の話 ~ひと夏の切ない出来事~

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私立小学校

こんにちは。

今回は、小学2年生の息子が通う私立小学校のお友達とのエピソードと、我が家の教育方針を絡めた話を紹介させてください。

最近息子に起きた、親としては嬉しくもありでも切ない出来事について...。

長文で、しかも駄文ですが我が家の子育ての中で息子の心の成長が垣間見れた期間でした。

将来の夢

唐突ですが、私の小学生4~5年生の時の将来の夢は「ロボットを作る博士」でした。

当時、機動戦士ガンダムが流行っていて、私も大好きでガンダムのプラモデルにすべてのお小遣いを注ぎ込んでいました。
私の母親にも「大きくなったら、本物のガンダムを開発する博士になる!」とよく言っていたのを覚えています。

月日は経ち、小学6年生の頃、漫画雑誌やテレビアニメで放映されていた”キャプテン翼”が爆発的に流行りだしました。

私の小学校のクラス内ではサッカーをテーマにしたストーリー仕立てのオリジナル漫画を描くのが流行りました。
私もキャプテン翼にも大ハマリしました。

クラス内で流行るオリジナル漫画作成もこれまた熱中してしまい、漫画を描きまくっていました。
いつしか将来の夢が「漫画家になる」に変わってしまうくらいその期間は漫画を描くことに熱中しました。

私の母親に純粋に「大きくなったら、やっぱ漫画家になる!」と初めて言った時の母親の顔は今でも忘れません。

母親は何故かすごく嫌そうな顔をして「何で漫画家なんかになるんや、博士とちがうんか。」と言ったのを今でも記憶しています。
小学校6年生だった私は、母親がなぜ嫌そうな顔をしたのか・漫画家はダメなのか?とかなり不思議でショックを受けました。

なぜ、母親があんな顔をしたか、私が大学進学と同時に実家を離れるまで母親と暮らしていた中で理解しました。
博士という学歴が必要な職業とさほど学歴を必要としない(と母親が感じている)漫画家を比較したのだと思います。
学歴至上主義ですね。
まぁ、そういう母親のおかげで大学まで進学できた面もあるとも思いますが。

今私が親となって、息子には絶対にそんな経験はさせないと心に決めています。
息子の意思を尊重する。
これは小学校受験を進める上で定めた、我が家の教育方針の1要素になっています。

以前の記事でも紹介しましたが、我が家が小学校受験を考えたきっかけは息子が「大きくなったら宇宙飛行士になりたい」と言い出した事が1要因としてあります。
(詳しくは以前の記事で)

息子は私立小学校の面接でも将来の夢を聞かれ「宇宙飛行士です。」と答えていました。

息子、親友が出来る!

息子は比較的明るい、面白い事が好きな性格で、誰とでも仲良くなれるタイプの子供だと親の私は感じています。
私立小学校に入学し、1年生の通知表に先生のコメントでもその様な事が書かれていたので、大幅に認識のズレは無いかと思います。

我が家の教育方針の中でも、友達を大事にする事は重要項目としてきました。
小学校受験準備中の年長時でも、保育園のお友達と遊ぶ約束が入ったら、時には短時間になってしまう事はあれど、その約束を最優先させ予定を何とかやりくりしていました。
友達を大切にする事、友達と楽しく遊ぶ事は特に大切にしてきたつもりです。

息子が小学校に入学して月日が経ち小学校での出来事を聞いていると、一年生の秋頃には話によく出てくるお友達の名前が決まってきました。
ここでは、そのお友達を仮にA君と呼ぶ事にします。
A君と息子は、小学校でのクラスは違えど放課後の学校提携の民間学童でほぼ毎日顔を合わす仲間でした。

何でも、A君が発する一言一言が息子の笑いのツボにハマるらしく、A君面白い、Aくん面白いとよく語ってくれていました。

実際に私も、息子を学童にお迎えに行ったり、休日に家族ぐるみで遊びに行く事があるのでA君の雰囲気は知っています。
超陽気な感じでは無く、一見クールな感じの子で息子とは少しタイプが違うなと個人的には感じました。

毎日毎日息子は学童でそのA君と遊ぶ事が楽しいらしく、今日何して遊んだやら、こんな事言ってて大笑いしたとか嬉しそうに話してくています。

いつしか、息子は「A君は僕の親友だ。」と伝えてくれるようになっていました。
親としては、息子に親友と言える友達ができて良かった、学校に行く事が楽しいと思ってくれていると感じることができて純粋に嬉しかったです。

そしてA君は息子にとって存在が大きく、息子に大きな変化をもたらしました。

息子はいつしか、「大きくなったら、お笑い芸人になる!」と言うようになりました。
「A君ともう一人B君と僕で3人でグループ(トリオ)で面白い事するんだー」
と、将来の計画まで立てていました。
言い出してから、この記事を書くまで10ヶ月は言い続けているので本気なんだと思います。

将来の夢、宇宙飛行士からお笑い芸人に変更です。
これを息子から聞いた時に思い出したのが、私が子供の時に母親にされたあの顔。

私は、息子に「良いねー。宇宙飛行士になるより難しいかもしれないよ(笑)」
みたいな事を伝えました。

話を戻しまして、息子に大きな変化を与えてくれたA君ですが
コロナウイルス感染拡大が流行る前までは、休日も家族ぐるみで予定を合わせよく遊びに行きました。
また、コロナウイルス感染拡大による自粛生活で遊ぶ約束が延期になったものもあり、自粛期間中や休校中には早くA君と遊びたいなーとしきりに話していました。

休校中のニュース

コロナウイルス感染拡大の影響で小学校が休校になる中、息子は2年生になりました。
休校期間中も延期になっているA君と遊ぶ約束を楽しみに待っている息子でした。

妻はA君のお母さんとよく連絡を取っていましたが、休校期間中は連絡が少なかったみたいです。
6/1の学校再開の予定が発表された頃、久々に妻がA君お母さんに何かの用事で連絡したと時、そのニュースは舞い込んできました。

A君家族はA君お父さんの仕事の関係で8月に引っ越しする事になったのです。
A君も息子と同じ今の小学校を7月末でやめ、転校する事になるとの事。

5月下旬にその知らせをもらったので、息子がA君と会える期間は急に残り約2.5か月になりました。
息子にその知らせを伝えた当初はまだ実感が無い感じで「さびしくなるなー。」と軽く口ずさむ程度でした。

2020年6月1日、休校中だった小学校が再開し、A君とも顔を合わすようになりました。

やっぱり、久しぶりに会って遊ぶと楽しかったようで、自宅でA君と話した事などたくさん伝えてくれました。

日が経ち、A君家族の引っ越し近づくにつれ、息子もA君が居なくなってしまう事を実感してきたのか、「僕もA君と同じところに引っ越すー。」とか「ほんとうにいっちゃうのかー、寂しいなー。」とかしきりに言う様になっていました。

私達親も「1番仲の良い友達が転校しちゃうのは寂しいね。」「あなたの学校生活を豊かにしてくれたA君にありがとうの気持ちを忘れないでね。」程度の言葉をかけてあげる事しかできませんでした。

延期していたお出かけの約束

7月になり、A君の引っ越しまで後1か月半。

A君と息子と学童でもう一人仲の良いDさんの3人子供たちで、自粛して延期になっていた休日のお出かけの予定をそろそろ実行する計画をしだしました。
例によって、また3家族の母親たちで調整し7月中旬に植物園に行くことになりました。

この7月中旬の植物園へのお出かけ当日は生憎土砂降りの雨模様でした。
それでも、息子たちは亜熱帯系植物の屋内型展示館やいくつかの軒先で雨宿りしながらA君と遊べる残り少ない時間を楽しんでいました。
子供たちを見ていると、雨が降ってもこれだけ楽しめるんだなぁと感心します。
しかし、豪雨の為少し早めに切り上げる事になりました。

子供たちは遊ぶ時間がいつもより短かった事もあり、不満気味。
帰り際に次のお出かけの計画を練りだしていました。

A君と最後のお出かけ

7月後半になり、いよいよA君が学校を去る日が近づいてきました。
この頃、息子は「A君がいなくなる事考えると寂しくて何もはかどらない。」とか「パニックになる。」とか言っていました。
小学2年生なりに、親友が遠くへ行ってしまう寂しさをひしひしと感じているようでした。

私達親は、親友が学生時代に親友が引っ越ししてしまった経験がありません。
寂しがる息子に何もしてやれないのがやるせなかったです。

7月31日はA君が息子と同じ小学校に登校する最終日でした。
そして、学童に来るのも最終日です。。
学童ではA君へのお別れ会が催され、みんなで別れを惜しんだ様です。
お別れのプレゼントにみんなからのメッセージの寄せ集めを送っていました。

その日の学童の帰りは2人とも両家族の親がお迎えに行っても全く帰ろうとせず、このままずっと遊んでいたいと言わんばかりにふざけ合っていました。

ただ、引っ越し直前の8月の中旬に最後のお出かけの計画が進んでいて、休日にもう一度遊べる事がほぼ確定している為か、この日は子供たちも比較的すんなりと解散できました。

8月に入り、息子は個人的にA君に手紙を書くと言って手紙を書きました。
これまでに、息子はA君の誕生日などに自ら手紙を書いてプレゼントしてきました。
誕生日の手紙の時はA君にプレゼントする前に、誤字脱字等無いか私達親がチェックしていました。
しかし、今回のお別れの手紙は「はずかしいから」と内容を見せてくれませんでした。

そして、8月中旬、最後のお出かけの日がやってきました。
神奈川県のとある建造物に遊びに行きました。
この日は各家族昼食をとった後に待ち合わせで午後から出発。
天気は快晴で気温も高く夏日でした。

子供達は集合場所で会うなり、大騒ぎして歩き出しました。
お出かけ先の建造物では見学の感想を言い合ったり、そうかと思えばふざけ合ったり楽しそうでした。
おみくじで大盛り上がり、建造物内探検で大盛り上がり、本当に仲が良いのを感じました。

建造物を切り上げ、ファミレスで休憩を取り今度は近くの公園へ移動しました。

公園でもはしゃぐ、はしゃぐ。
夕方でも動けば汗ばむ気温の中、セミの抜け殻集めや、遊具で遊んだり。

ひとしきり遊んだ後、陽も落ち始めたのでとりあえず休憩がてら近くのショッピングセンターのフードコートに入りました。

子供たち3人はアイスクリームなんかを食べたりしながら、楽しそうに遊んでいます。
まだまだ話し足りない、遊び足りないと言わんばかりに。

息子はこのフードコートで遊んでいる時に、自宅で書いた手紙をA君に照れくさそうに渡していました。
結局、私も書いた内容を教えてもらえずでした。

外はもう真っ暗でしたが、私達親たちも今日がA君と遊べる最後の日なので、帰りが少々遅くなるのは予想していましたし、容認していました。

しかし、気が付くと20時になっており、さすがに帰らないといけない時間が差し迫ってきました。
私達親たちも子供たちに「そろそろ帰ろう」と言い出しました。

お別れの時

ショッピングモールのフードコートを出て帰ろうとしますが、子供たちはやはりまだ遊びたい様子。
そして、特に息子は別れが惜しいのか、まだ遊びたいと聞きません。

我が家は車で集合場所近くまで来ており、ショッピングモールから駅に向かうA君家族とDさん家族と帰り道が違いました。
しかし、息子はA君、Dさんと駅まで帰ると言ってA君Dさん家族に付いて駅の方に歩いて行ってしまいます。
しょうがないので、妻と息子は駅までA君Dさん家族と一緒に歩いて帰り、駅で解散する事にしました。

私は車で駅のロータリーに先回りして待機し、息子と妻が解散し戻ってくるのを車中で待っていました。
時刻はすでに21時になろうとしていました。

息子は駅で解散する時、最後のお別れをするその時に、口数は少なくしんみりしていた様です。
1年4か月ですが、あんなに楽しく・仲良く過ごした、そして息子にとって将来の夢を変えるほどの影響を与えてくれた大きな存在のA君と最後のお別れの時に、寂しすぎて言葉が出ない。
最後に

「また会おうね。」

とだけ伝える事ができたみたいです。
解散の場所から車に向かう間、息子は一言もしゃべらなかったようです。
そして私が待つ車に戻り、車に乗り込みました。

後部座席に乗り込んだ息子は悲しそうな顔で、一言もしゃべりません。
私も「一番仲の良かった子が引っ越しちゃうなんて悲しいよね。」、「そんなにお友達の事を好きになる、友達を思う事が出来るあなたをお父さんは好きだよ。」と言ってあげる事くらいしかできません。


「グスン….、グスン…」
息子は、暗い車内で大粒の涙を流し泣き始めました。
今まで見た事の無い、息子の寂しさ、友達を思う涙に運転席にいた私も泣いてしまいそうになりました。

息子が号泣する中、車を出発させ帰路に就きました。

友達を大切にする事

【友達を大切にする】は、我が家の教育方針の一要素ですが、これは小学校受験準備を進める中で決めた我が家の教育方針として取り入れる以前から、ずっと息子には伝えて暮らしてきたつもりでした。

息子の保育園の卒園式では、寂しさから涙を流す事はありませんでした。
私立小学校に進学し、小学校では保育園の友達に会えなくなるのですが、その寂しさを理解できていなかったのかと思います。

A君とのお別れで、息子の切なさを私達親も大いに感じ、何もしてあげる事が出来ないもどかしさを感じた一方で、親として伝え続けていた【友達を大切にする】事が本人にとっては無意識かもしれませんが、伝わっていたと感じる事が出来たことに嬉しさも感じました。

A君は息子にたくさんの感情を与えてくれて本当に感謝しています。

実際にお別れの時も伝えましたが、

A君、息子と出会ってくれてありがとう。




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